『ノルウェイの森』という文字列、及び響きに覚えがないという人は極めて少ないと思う。
言うまでもなく、音楽の歴史に名を刻んだ偉大なるバンド『The Beatles』のアルバム「Rubber Soul」に収録される楽曲の一つであり、村上春樹氏による小説としても、国内外問わず有名である。
『ノルウェイの森』という言葉を私がはっきりと認識したのは、高校生の時であった。
母が昔からよく聴いていたというオールディーズを集めたCDの中に、ビートルズの『In My Life』が収録されており、それがきっかけでその後『ノルウェイの森』を初めて聞くことになる。
詳しく経緯を説明しよう。
私の父はビートルズが大好きで、休日に流れている音楽と言われて、私が真っ先に想像するのはそう、ビートルズ。(中でも初期を多く聴いていた印象が強い。)
また父は料理が、そして特に中華料理が好きで、日曜日の午前中には必ずと言って良いほど、朝昼ご飯兼用のチャーハンを作ってくれた。
そして、バックミュージックはビートルズ。
だから私にとって、日曜日の午前中とチャーハンとビートルズは一つの塊であり、お互いに補完し合っていたようにも思う。
そんなわけで、私は小学生から中学生にかけて、父がかけるビートルズをひたすら聴き続け、その分だけ(と言ったら流石に誇張している)チャーハンを食べ、日曜日の気怠い午前をリビングで過ごした。
母がその古い楽曲を集めたCDを私に紹介してくれて、そこに入っていた『In My Life』が流れた時、それは既に自分の日常に入れ込まれたものだった。もちろんチャーハンと週末とともに。
温かく印象的なイントロ、美しいコーラス、革新的なドラムのリズム、そして目の醒めるピアノソロ。
この伝説的な楽曲に、かつての私はあまりの親密さから特別感動していたわけではなかった。
しかし、なぜだろう。そのCDを母と共に改めて聴いた時、単純にすごく嬉しかった。
それはビートルズの良さに本格的に気づいた最初の瞬間なのかもしれないし、単純に自分でかけたまだ未知のCDで、知っている曲が流れ、気分がいくらか高揚したのかもしれない。
ただ、少なくともその時の『In My Life』は間違いなく単なる過去の作品「オールディーズ」ではなかった。
そして私は母にこう尋ねた。
「ビートルズの曲の中で何が一番好き?」
後になって思う。もし私がこの質問を受けたら、酷く選択に窮するし、そもそもナンセンスな質問だなと感じるだろう。
しかし母は少し考えてこう答えた。
「ノルウェイの森」と。
これが私が『ノルウェイの森』と初めて出会った瞬間だ。
このどこか鬱蒼としていて、ジメジメした響き。他の言葉にはない不思議なものがある。
そしてその言語化できない魅力に駆られて、早速その曲をApple Musicでダウンロードして聴いた。
正直に言おう。どうとも思わなかった。
いや、むしろ単調で退屈な曲だなとすら思った。
アコースティックな雰囲気は魅力的に感じたが、だからと言って特別な印象も受けなかった。
これで私と『ノルウェイの森』の出会いはあっけなく終わってしまう。
そして数年後、私は高校を卒業して大学に進学した。
ふとしたきっかけで村上春樹作品に興味を持ち、当時の最新作『騎士団長殺し』を読み、当然それを引き金に私はいわゆる「ハルキワールド」の虜になった。
そうなってしまえば、もちろん氏の名著『ノルウェイの森』に辿り着くことになり、貪るようにそれを読んだ。
衝撃。
まさにそれは『ノルウェイの森』だった。
他にどうとも表現できない、まさしくそれはノルウェイのおそらくは針葉樹が多く高く茂った、暗く、湿った薄気味悪い森、そのものだったのだ。
本の中でヒロインの「直子」がこのようなセリフを残している。
「この曲を聴くと、深い森の中で迷っているような気分になるの。どうしてだか分からないけど。一人ぼっちで、寒くて、暗くて、誰も助けに来てくれなくて…。でも、本当に一番好きな曲なのよ。」
深い森で迷っている感覚。
この本を読んだ時の私の感覚は、まさにそれだった。
そしてそのやるせ無い感情の後には、『ノルウェイの森』を聴かなければならないと思った。
数年前にダウンロードしたその曲を再生すると、そこには温かくも冷たくもない、ぬるくて不気味に響くジョン・レノンの声と、湿っているのか乾燥しているのかわからないアコースティックギターのメロディーとシタールの歪み、儚く美しいポール・マッカートニーのコーラスがあった。
この曲は間違いなく特別なのだと心の底から思った。
そしてようやく母の気持ちが少しわかったような気がした。
数年前はあれほど興味を持たなかったのに、人間は不思議なものだ。
そしてこれほどまでに私の価値観が揺らいだのは間違いなく、村上春樹氏の世界に触れたからだと確信している。
小説の力はもの凄いなと。
今私は考える。『ノルウェイの森』とは何だろうかと。
ビートルズの原曲名は「Norwegian Wood」であり、これの直訳は「ノルウェイの森」ではなく、「ノルウェイ製の家具」あるいは「ノルウェイ産の木材」になるらしい。
確かに言われてみればそうなのだが、意訳である「ノルウェイの森」は素晴らしいと個人的に思う。
なにしろ、何度も言うように私はこの言葉のもたらす、他にはない雰囲気が大好きなのだ。
一方でこんな一説もある。
これはビートルズ関係者のアメリカ人女性が「本人から聴いた」として、とあるパーティーにて村上春樹氏に伝言。それが氏の本になって日本国内で知られるようになったものだ。(もちろん私もその本を読んで知った。)
それは元々は「Norwegian Wood」という単語はこの曲には使われておらず、実は「knowing she would」という初期案の歌詞から韻を踏んで変形したものだというものだ。
どういうことか。
歌詞を見て頂ければ分かると思うが、この曲は簡単に言ってしまえば、男がワンナイトを狙って、女の家に転がり込む物語になっている。
女は男を部屋に案内して、「Isn’t it good Norwegian Wood?(ノルウェイ製の家具よ、素敵でしょ?)」と問いかけるのだ。
しかし、この説では「Isn’t it good knowing she would(彼女がやらせてくれるってわかっているのは、悪く無いよね。)」という歌詞でジョン・レノンが最初書いていて、それがコンプライアンス的にアウトを突きつけられ、その場で即興でジョンが「Norwegian Wood」と韻を踏んだとなっている。
すごいね。
いや、バッサリ切ってしまえば、多分これは個人的に嘘だとは思うが、単純によくできてると感心する。(あるいはジョンは本当に彼女に冗談でそんな話をしたかもしれない。セクハラ極まりないが、その様子は容易に想像できる。)
この歌は結局女にやらせてもらえず、ひとりぼっちで寝て、朝起きたら部屋に置き去りにされていた男が彼女の部屋を放火して終わるので、「Norwegian Wood」の方が曲として違和感はないだろう。
物語としてはイカれていて、違和感の塊だが、そんなことはどうでもよい。
ただ、たった2分5秒の曲に色々な物語が誕生するということは、もの凄いことだと思う。
そもそも「Rubber Soul」のジャケ写が好きだ。
奇妙にアスペクト比を無理やり歪めた写真と、サイケデリックなテキスト。
一番好きかもしれない。
何にせよ私はこれからもこの不可思議で異様極まりないこの曲を聴き続ける。
そこでは何度も「ノルウェイの森」は火をつけられ、鳥は飛び去り、小指のハンマリングは妖艶な高音を奏でるだろう。
そしてその部屋には日曜日の午前中の窓から差し込む温かい光と、出来立てのチャーハンもきっとあるはずだ。
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