小学校の廊下をよく思い出す。
なぜかはよく分からないけど、その景色が頭に残っている。
脳裏に焼き付くといった感じではなく、どうしようもなくこびりついて、離れない感じ。
かと言ってベタついている訳では無い。どちらかと言うと青みがかっていて、どこか寒々しい記憶。
そう、思い出すのはいつも冬の寒くて、曇ってて、薄暗くて、湿っぽい日。
小学校のあの長い廊下。
小学校って結構広いけど、いつもは自分の教室がある階の廊下とか、体育館への廊下とか相当限定された範囲しか使わない。
だからこの廊下あんまり通ったことないなと思う区間があるものだ。
私は幼少期から酷い花粉症持ちで、花粉シーズンがやってくると、給食の時間には薬を飲んだり、目薬をさしたりするために保健室に通っていた。
保健室は基本的にはどこの小学校でも1階にある。恐らく校庭とか怪我した人をすぐ運べるようにするためだと思う。
だから高学年になってくると自分の教室の階数が上がることによって、保健室への道のりが自然と長くなる。
私はその給食前の人が誰もいない廊下を1人で歩くのが好きだった。
そして何故かそういう1人で歩く廊下の記憶はいつも、外との寒暖差に床の白いタイルが結露していて、水っぽく、生徒が歩いた軌跡が黒くぐちゃぐちゃに残っていて、汚い。
そう、何故か冬の日。
花粉シーズンはそんな冬でないはずだから、結露なんて考えられないけれど、そういう情景が脳から自動的に手渡されるのだ。
そして、あの長い廊下。
遠くに見える突き当りは霞んでてもおかしくないくらい遠く、儚い印象を持つ。
私はあえて「あまり使わない区間」をあえて通るルートを選んで、保健室に向かうこともあった。
冒険気分。(この時から既に一人旅が好きなようだ。)
校長室の前は普段ほとんど通らない。その前には大きいガラスケースがあり、よく分からないチャチなトロフィーやメダル、盾、賞状が不自然なほど綺麗に整列されている。
そんなのを流して見るのが楽しかったし、そういうのを見てると全く違う学校に来た感覚になった。
こんなところにトイレあったんだとか、5,6時間目はなんだっけとか、そういうのを適当に思いながら歩く。
1階の廊下は自分の足音だけが響いている。
上履きのゴム底が湿った床と擦れてキュッキュッとなる音。
薄暗い廊下を心細く照らす2本の長い蛍光灯の連続。
むしろその灯りが薄暗さを強調させ、不気味さを際立たせる。
そういう全てが当時の自分には心地よかったし、馴染んだし、それでいて身震いするくらい不安で、怖かった。
そう、怖かった。見慣れない、誰もいない廊下には、理不尽なまでの見えない狂気があった。
蛍光灯の不快な白い灯も、よく分からないトロフィーも、湿って汚い床も、アルミ縁の窓も、見覚えのない誰が使うのかも分からないトイレも、手に持っている薬も、時々水道の鏡に移る自分も、全部全部怖かった。
だから教室に帰る時はいつも早足だ。
キュッキュッキュッキュッキュッ。
でもその足音はどこか自分のものでないみたいだった。
長い廊下を歩いて、ようやく階段のところまで行くと、上のフロアの教室から盛れる騒がしい声が耳に入ってくる。
安堵する。
視界は晴れる。きっと目薬が効いてきたんだろう。
中学の卒業式の後、小学校を訪れる機会がかあった。
小学校も中学校も地元の公立だったので、みんなで行こうという流れになったのだ。
そして僕は小学校を久々に(と言ってもほんの3年ぶりとかではあるが)、訪れて、落胆した。
がっかりした。
そこにあるのは、いささか小さすぎる教室と机や椅子、狭くて奥行きのない廊下、低い天井、不統一な床のタイルであって、当時感じていた、その怖さみたいなものはもうなかった。
それは完全に消え失せていて、もう僕はその廊下を見て多少の懐かしさ以外に何も感じることが出来なくなっていた。
そういう時僕は、ーあるいはこう言う言い方は良くないかもしれないけど、消えてしまいたくなる。
いなくなってしまいたくなる。
もうあの時の自分は永遠に失われてしまったのだと、その現実、自分の残酷な成長という名の消費を目の当たりにして胸が締め付けられる。
あの時の湿った床は確かに汚かった、でもどこか心地よかったし、それでいいと思えた。
あの時の怖さは純粋な身震いであって、邪悪なものでは決してなかった。
ノスタルジア。
トロイメライ。
目薬が目にしみる。保健室の先生が言った。
「しみるってことは効いてるってことだよ。」
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